映画応援団「シネマエール東北」 - 東北に映画を届けよう!プロジェクト

上映会レポート

■ 2011年10月24日(月)

岩手県宮古市 みやこシネマリーン②

宮古シネマリーン上映会報告

10月22日の深夜、酔客で賑わう新宿を後に車で一路岩手宮古に向う。メンバーは日本映像職能連合幹事の小川洋一(撮影)・福澤勝弘(美術)・土山正人(照明)・佐藤秀城(編集)・成田裕介(監督)の5名の隊士。

翌23日、8:15に宮古到着。少し早く着いたので市街地の視察を敢行することに。大きな被害を受けた田老地区。高さ10メートルの防潮堤。見上げるほどの高さはビルの三階ほどもあるだろうか。この「万里の長城」をあの津波はいとも簡単に越えてきた。堤の上から望む光景に皆が言葉を失った。何も無い、のだ。改めて自然の猛威を思う。

かつて宮古市には7館の映画館があったそうだ。どこの地方都市もそうだが映画館のない街は多い。宮古市も例外ではなかった。シネマリーンはそんな街に映画館を作ろうと有志が立ちあがり、生協が主体となって復活した全国でも珍しい映画館である。生協DORAという施設の2階にある小屋は2スクリーンを擁し今年で15年。但し経営は厳しいと聞く。震災以降、支配人の櫛桁氏は精力的に巡回上映を行ってきた。あの直後はとても映画を観るどころではなかったと思う。しかし「映画は映画館で観る」これが櫛桁氏のポリシー。そんな櫛桁氏の想いが映職連に届けられ、今回の上映会となった。上映作品は1982年の深作監督作品「蒲田行進曲」。

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我々映職連の面々の使命は先乗り部隊としての宣伝・広報活動にある。シネマリーンでの打ち合わせの後、一同ダンダラ羽織とノボリ旗の出で立ちで、チラシを手にいざ出陣と相成った。不謹慎だが鼻歌まで出てくる(♪鴨の河原に千鳥がさわぐ~新選組は今日も行く♪)。道行く人々が不思議なものでも見るように、我々を遠巻きに見ている。しかし、そんなことを気にしてはいられない。「明日、上映会をやります!!」とばかりにチラシを手渡す。東京でチラシ配りをしたことは無いが、大半の人々が快く受け取ってくれる。人間が暖かい。但し、動員につながるかは不明である。そして地元FM局での生出演での告知。「御用検めである!!」と気分は新選組。「たらふくラーメン」という市長お勧めの昼食に舌鼓を打ち、駅に向かうと「盛岡映画祭」で来ていた林海象氏とバッタリ遭遇。真に寄寓である。

約10分遅れで崔会長が盛岡から到着した。「局長、ご苦労さんです!!」との出迎えに、崔会長は満更でもない様子。
夕食を兼ねての櫛桁氏を交えての会食。隊士としてはしっかりチラシ持参。何せ合言葉は「明日の上映会の為に」である。

シネマリーン1.jpg

さて当日、シネマリーンに着くと、閑散としていた。「ン!?」。しかし、開場までは40分以上もある。早とちりというものか。聞けば整理券を求める人々がチラホラとみえていたそうだ。心配を余所に開場直前には、何と! 行列が出来るほどに膨れ上がった人波に、一同ホッとしたものである。崔会長はと言えば、来場者の握手攻めにあっていた。この劇場のキャパシティは85名である。立ち見とまではいかないが、入場者数は79名であった。何と言っても「蒲田行進曲」。お客さんの反応は上々である。崔会長は一緒に観賞。

「こんなに入ったのは震災以来初めて!!」と、興奮気味に語っていた櫛桁さんの顔が綻んでいた。来た甲斐があったというものだ。上映中の時間を利用して、最後のチラシ配りに奔走。何せ我々ヒラ隊士はこの為にはせ参じたのだ。

上映終了後のトークショウ。撮影所の裏話・主人公のモデルとなった俳優などのお話にお客さんは興味深々で頷くやら感心するやらで、大いに楽しんでもらったようである。約20分程のお話が終了し、出口ではこれまた握手と記念撮影をせがまれる崔会長であった。この間、次回の入場整理券の配布と入口は嬉しい混雑に見舞われていた。また、「岩手めんこいテレビ」の取材など精力的にこなし、次回の開演。入場者数は66名。平均年齢は60歳代が主流なのは番組なのか、それとも平日という時間の問題か。何れ今後の検討課題となるのだろう。ともかく、上映後のトークショウも前回以上に熱のこもった崔会長のお話にお客さんは多少は日常の時間と異なる時間を感じてもらえたようだ。

シネマリーン3.jpg

合計で145名の入場者。とにもかくにも初めての上映会は大成功であった。
「また、是非ともお願いします」と櫛桁支配人の言葉は弾んでいた。近い内の上映の約束をして局長以下隊士5名は帰路についた。

宮古市内には仮設住宅が66か所あり、2010世帯の被災者が暮らしている。今回、仮設住宅を精力的に回るつもりだったのだが、櫛桁氏の助言で思い留まった。全てを回るのは物理的にも不可能であり、当然、仮設ごとの選別は出来ない。今回の告知については事前に宮古市の広報誌と岩手日報のチラシに掲載させて頂いた。それらが今回の入場者数につながった。もちろん無料上映ということもある。しかし、仮設を含めた被災者の皆さんが来場したかというと、印象からすれば必ずしもそうとは限らない。上映か支援かの問題なのだろう。

被災地の夜は暗い(文字どおり暗いのです)。日中は建物も目につくが、夜は真っ暗である。家々に生活の灯りが無いのだ。ガレキは撤去され一見片付いてるように見えるが単に集積したに過ぎない。残っているのは辛うじてそこに家があった証である土台のみ。昼であれば幾分見当が付くが、夜だと平面にある唯の道路であることが多い。目印になる建物がないのである。あれ以来7カ月以上も経つのに何も変わっていない現実。そして被災者にはこれが日常なのだ。その日常は静かに冬へと向かっている。

東日本映画上映協議会(日本映像職能連合幹事 成田裕介)

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